室生犀星文學中的金沢風土元素室生犀星の文學における金沢の風土

はじめに

室生犀星は1889年(明治22年)、現在の石川県金沢市に生まれた。この金沢はかつて學術、蕓能、工蕓、美術から菓子に至る豊かな文化を持っていた。第二次世界大戦を経たいまでも、日本のあらゆる都市のなかでやや大規模な舊城下町の面影を保っているのがこの町である。この地には、泉鏡花·徳田秋聲·室生犀星の三人の文豪をはじめ、多くの文人たちが生まれ、また一時期を過ごし、金沢を舞臺とした作品を數多く発表している。金沢の舞臺に數多く登場した作家の中で室生犀星は金沢の風土との関係が一番深いと思う。本稿では、犀星の文學と金沢の風土のかかわりに焦點を絞って、『抒情小曲集』を中心に、文學と文化という表と裏の関係について論を進め、犀星文學の解読を試みることにする。

1、金沢の自然風土

犀星の人間形成及び文學活動の原點となったのは、彼の生まれと育ちの特殊性であった。父は加賀藩で足軽組頭を勤めた人だが、妻を失った後、女中ではると呼ばれる人との間に犀星をもうけた。生後一週間程で赤井ハツに貰われ、ハツの私生児として屆けられた。ハツが千日山雨寶院住職の室生真乗と內縁関係にあったためそこで育った。ハツは四人の貰い子を私生児として屆け、養育していた。

犀星を育くんだ風土は、北國は金沢であり、加賀百萬石の城下町である。金沢の気候は北國特有のもので、冬の間は深い雪に閉ざされ、空は暗鬱であり、ここから思索や學問の人が育まれ、西田幾多郎、鈴木貞太郎(大拙)、藤岡作太郎の、いわゆる「三太郎」らをみることができる。冬が去って春になると、雪國特有の草や木の芽ぶきが新鮮であり、「一時にひらくうめすもも」と犀星がうたったように、春と初夏とが一斉にやってきたような輝きにつつまれる。人々は兼六園の豊かな彩りに季節の移り変りを感じ、醫王山や卯辰山や野田山の景色を望み、市內を流れる淺野川や犀川の堤をさまようのである。白山の雪どけ水を源流とする二つの清流は、人々の生活に恵みを與え、人の心を美しくうるおして日本海に注いでいる。淺野川から泉鏡花と徳田秋聲が生まれ、犀川によって室生犀星は繊細純樸な感性を育まれた。

犀星は、最後の故郷滯在となった昭和16年3月、金沢市で、「文學者と故郷」と題する講演をしている。その中で、「…郷土が私の仕事をたすけてくれてゐるのであります。それは名も知れぬ小川で見た春の景色もあれば、殘雪でかがやいてゐる山々のけはしい姿も、私の文學のはげしさを加へてくれてゐるのであります。」といっている。これについては竹內清己は「犀星詩における山の座」では次のように説明する。

「影にそふ形のやうに、郷土が私の仕事をたすけてくれてゐる」というのは、あながち帰郷者の故郷への挨拶とだけかたずけられない、犀星文學の成り立ちそのものにかかわる自覚であろう。また、「名の知らぬ小川で見た春の景色」は、いたわりの文學としての犀星文學、それが母的なものへの憧憬につながることはいえるだろうし、「殘雪でかがやいている山々のけはしい姿」、しかりとはげましの文學、それが父的なものへの憧憬につながることもいえると思われる。」

金沢市中に平行して二つの川が流れている。一つは女性的な感じのするやさしい表情の淺野川、南に城址があり、北のかたは卯辰山公園となる。このほとりに徳田秋聲、泉鏡花の二人の小説家が生まれている。もう一つは男性的な感じのする荒々しい犀川で、その北側は寺町が続き、犀星の育った雨寶院はほぼその西、犀川大橋のほとりにある。『幼年時代』に書かれているように、寺の庭から石段を下りて犀川の磧にでられるようになっていた。犀星はひとりのがれて、孤獨をあたため、自らに語りかけ、犀川の流れをみつめては、そこに遊ぶ魚たちに青春の夢を託した。そして、自分が魚に変身することで、空想と憧憬の世界を形象化したのである。犀星は號して「魚眠洞」というが、詩集の『青き魚を釣る人』や、後の小説の『火の魚』や『蜜のあはれ』などの名作をうむことになる。その精神風土は犀川の堤で培われていたということができよう。ペンネーム犀星の「犀」は、犀川。その川から不屈の精神を汲み上げ、「星」の字に象徴されるように偉くなりたいという上昇の願望を、犀星は生涯燃やし続けたのです。

犀星は犀川を、うつくしくなつかしいものとして、再三語っている。それは『抒情小曲集』を見てもわかる。

犀川

うつくしき川は流れたり

そのほとりに我は住みぬ

春は春、なつはなつの

花つける堤に坐りて

こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ

いまもその川ながれ

美しき微風ととも

蒼き波たたへたり

「小景異情」(ほかに「寺の庭」「かもめ」「春の寺」「雪くる前」収録)に代表される感覚の解放のみごとな歌いぶりは、いかにも詩における新しい時代の到來を告げているが、それが北國の春淺い河畔で詠まれていることに深い意味がある。抑圧されていたものが季節の到來により芽吹こうとしているさまは、そのまま詩人の內部の解放につながり、その解放を詩人はあらゆる感覚(五感)を総動員して実踐してみせた。水、魚、光、土、植物、あらゆる河畔の自然から詩人は貧欲に生命を感得している。その中で<あんず>は詩人の生命が木のごとき意味を持っている。一本のあんずの木を通して青年犀星は生命の全解放を、宇宙との交響を願っていたのであろう。詩以外でも俳句や小説でこの木を多く使用しているのもその現われであろう。「犀川」の詩と、犀川中流の犀星碑にも刻まれた「杏よ花著け地ぞ早やに輝け」に見られるように、犀川はまさに、彼の文學の源泉であった。

2、金沢の文化風土

江戸時代、「天下の書府」と呼ばれた金沢は、古い文學伝統を持っている。金沢伝來の古い文學がどれだけ少年の犀星に影響していたか、正確にこれをはかることはできないが、深い影響であることだけは疑いない。

犀星は高等小學校中途退學で、中學も高校も大學もいかなかった。それが犀星の大きなコンプレックスになる。義母に虐待され、裁判所での勤務も屈辱の連続であった。このままでは、人生の落伍者、または犯罪者、乞食に、あるいは義母に搾取されっぱなしのロボット的人間になってしまったかもしれない。このような逆境の中で、劣等感にさいなまれていた犀星を救ったのは文學である。文學によって犀星は生きていく道をみつけだしたのだ。といって劣等生だった犀星は、小學校時代、ほとんど本を読むことがなかった。そういう犀星の前にひらかれたのが俳句の世界である。俳句は當時の金沢では、町ぐるみあげてというような広い裾野を持った伝統的、一般的な教養であった。こういう雰囲気が犀星をして、俳句それにつらなる小品文、さらには文學全體を、庶民に支えられた公認のもの、いや社會そのものすら無意識裡に感じさせたに違いない。犀星にとって文學にはげむことは、社會から背を向け異端者になることではなく、社會の中心に參加し、入り込むことであった。いわば肉體的に、自然に俳句に入り、文學の世界を知ったということが、自分の俳句、さらに詩、文學の由緒正しさ、正統性の支えになっているのだ。

少年の頃の俳句の直接的間接的影響は、初期抒情詩をはじめひろく犀星文學全般に、生活態度にまで及んでいる。特に『抒情小曲集』時代の抒情詩は、そのリズムや発想から俳句的である。伊藤信吉が指摘しているように、近代日本の抒情詩のほとんどが、短歌の発想からの地続きであるから、俳句の発想から入った犀星の抒情詩は當然異彩を放つ。短歌的、あるいは長歌的抒情の、のんびりした快い流れがない。流れるとみせ、突然、抒情の凝縮した絶唱ともいうべき一行が出現し、リズムが斷ち切られる。七五調の調子のよさになずんでうっとりと歌い流そうとしたとたん、のどに小骨が刺ったように痛切な叫びが、いらだたしげな破調になって出現する。たとえば島崎藤村、北原白秋、あるいは佐藤春夫などののどかで快く美しいがしまりなく流れて行く短歌的抒情詩にはない、鋭角的なリズムがあらわれ、抒情が截斷される。

それは『抒情小曲集』の冒頭の詩「小景異情その一」を見てもわかる。

白魚はさびしや

そのくろき瞳はなんといふ

なんといふしほらしさぞよ

そとにひる餉をしたたむる

わがよそよそしさと

かなしさと

ききともなやな雀しば啼けり

第一行から、リズムは五·四と鋭角的であり、二行から三行の「なんといふ」という絶唱のルフランが「しほらしさぞよ」とむしろ押しつけがましい、耳障りにも聞こえる詠歎で切斷される。そして四、五、六行といくぶん抒情的に流れはじめたとたん「ききともなやな」「雀しば啼けり」とはらだたしげなことばで否定的にぶっきられる。これは同じ食卓の魚をうたった詩でも、佐藤春夫の「あはれ秋風よ情あらば伝へてよ一男ありて今日の夕にひとりさんまを食ひて思ひにふける(中略)さんまさんまさんま苦いか塩つぱいかそが上に熱き涙をしたたらせてさんまを食ふはいづこの里のならひぞや。あはれげにそは問はまほしくをかし」の有名な「秋刀魚の歌」と比較すると、犀星の抒情の特質がよくわかる。犀星には春夫の流れるような調子のセンチメンタリズムも、同じ自嘲でも戯文化するような余裕も、うまさもない。不器用でささくれだっているが、その代り絶唱とも言えるような心に鋭く痛くつきささる抒情がある。俳句的な凝縮がある。七五調の調子よりリズムとなめつこく美しい言葉が、意味や內容を置去りにして耳を快く流れて行く、そんな詩はつくれない。無理にでも読者をたちどまらせ意味を考えさせずには置かない。もちろん犀星も美しいリズムの抒情詩をいくつもつくっている。

俳句から文學的出発を果たしている犀星の詩には、自然そのものと俳句があった。金沢のもつ俳句的風土もこれにあずかっている。犀星にとって俳句はその詩精神を貫く心棒とでも言うべきものであった。

本稿では、犀星の文學と金沢の風土のかかわりに焦點を絞って、『抒情小曲集』を中心に、文學と文化という表と裏の関係について分析を試みた。その結果、金沢の豊かな自然的と文化的な風土が犀星の文學を育んだことが明らかになった。「名も知らぬ小川で見た春の景色」、「殘雪で輝いている山々のけはしい姿」、「北國特有の憂鬱気候」、城下町の漢文·俳句的風土、天下の書府としての古い文學伝統は犀星の文學の源泉であると本稿で見る。しかしながら紙幅の関係上、犀星の小説?隨筆の世界の深層構造については議論の展開はできず、今後の研究を待つしかない。