【摘 要】中日國交正常化以來,中日雙方在經濟方面取得了重大成果。其中,日本的經濟開發援助政策(ODA政策)對中國近代經濟的發展起了很大的作用。近年來,日本的對中ODA政策也因為種種原因進行了調整。本文從日本ODA政策及其發展,以及發展的原因出發,簡單分析近代的中日關系。
【關鍵詞】日本;中日關系;ODA政策
日本のODA政策は長年來中日関係における重要な一環として、中日両國共にの経済発展を効果的に促進した。一方、中日両國の間、親密的に交流した時期もあるし、さまざまな紛爭が生じた時期もある。
一、ODAについて
1979年12月、大平首相が訪中のとき、「より豊かな中國の出現が、よりよき世界に繋がる」iと中國の改革?開放政策を積極的に支援していく用意があることを表明し、79年に500億円の政府ベースの資金供與を中國と約束した。それは日本の対中ODA政策の始まりである。
援助の方式は主に有償資金協力(円借款)、無償資金協力、技術協力と三つの部分からなっている。1979年から2010年度までの累計総額は3兆6304億3700萬元に上る。その中で、技術協力1739億1600萬円、円借款3兆3165億円、無償援助1400億2100萬円にもあるii。1979年から、日本は長年間に中國にとって最も重要的で、最大規模の経済開発援助実施國である。しかし、近年來日本の対中ODA政策がさまざまな原因で調整しつつある。それは、いうまでもなく中國の発展や中日関係に大きな影響を與える。
二、日本における対中ODA政策の発展の歩み
日本は時期によってODA政策も違うのである。以下、日本のODA 政策の発展の歩みを概観する。
(1)50~60年代 ODAのはじまり
この時期、日本の対外援助政策は基本的に「開発援助」を中心理念としており、対外援助を自國の対外経済利益と一致させることがその基本內容であった。日本政府は対外資金協力としての一つは開発途上國に対する円借款である。それは、日本のODAの本格的な始まりであり、後の日本のODAの主要形式の一つとなった。
(2)70~80年代 対中ODA供與の表明
この時期、日本「國際援助大國」の地位と資格を打ち立てることを追求し、日本は獨立自主の國家安全保障戦略と外交政策を模索し始めた結果、ODAの政治化が進展し、ODAの中心理念は「戦略援助」へと転換するようになった。70年代後半、日本は対中ODAの供與が表明され、中國に経済援助を正式的に提供し初めた。
(3)80~90年代初 中日「黃金の時代」におけるODA
80年代、中國は対ソ戦略上の考慮から、新しい日米中関係を追求した。また、當時中國は改革開放に転じ、近代化計畫の実施に対して、日本からの支援に大きな期待をかけた。日本もそれに応じ、環太平洋戦略の考慮や戦爭賠償放棄の補償などの原因で、中國に対して、大きな経済援助をあたえた。中國は何年間にずっと最大の受け取り國となっていた。
(4)90年代から 対中ODA「見直し論」の臺頭
90年代に入ると、日本政府の対中戦略は「友好」から「普通」に転じ、ODA政策においては、ODAをテコとして中日関係の戦略調整を行っている。2005年3月、小泉政権は、北京オリンピックが開かれる2008年度をめどに対中借款を終了させる方針を閣議決定した。80年代には日中の良好な関係のシンボルだったODAが、日中間の新たな爭點になっている。
三、対中ODA政策が調整された原因
(1)ODAで中日友好関係がより発展
前章で書いたように、70年代後半から90年初まで日本はODAで中國の各方面に大きな援助をあらえた。その原因というと、70年代後半、中國は文化大革命などの國內混亂狀態から改革開放に転じた時期にあたって、経済を発展と政治を安定させるには、日本からの経済援助が需用であるだろう。一方、日本側からみれば、中國側の賠償放棄に謝意を持ち、一定の程度の上で政府援助の方式で中國の賠償放棄からの経済損失を補ったという気持ちがあるかもしらない。また、日本は環太平洋政策に基づいて、アジア各國とくに中國に対して、経済援助をしたのである。この時期、中日雙方政府は暗黙の了解に達し、共に中日友好関係の発展を促進したといえる。
(2)中日関係における新たな爭點
90年代から、歴史問題、領土問題、経済貿易摩擦などを背景に「中國脅威論」が臺頭し、日本國民の対中友好感情が下降し、日本経済の低迷、政府財政赤字に対し中國経済が好調であることから対中ODAの削減、中止を求める聲が強まった。その主な根拠は:まず、日本は巨額の財政赤字を抱え、もはや財政的余裕はない。これに対して、中國の経済発展は著しく、もはや援助を必要としていない。そして、中國が軍事力を増強していることはODA大綱の「軍事支出等の動向に十分注意を払う」との「原則」に抵觸する恐れがある。最後、中國は被援助國でありながら、北朝鮮を初めとして、外交戦略上重要な國々に対しては、軍事援助を含め、かなりの額の経済援助を行っている。iiiそれらの原因で、日本はODA政策においては、ODAをテコとして中日関係の戦略的調整を行い、中國の発展を牽制し、対中ODAの政治化を開始している。
おわり
ODAの性質や効果といった問題というと、中日両國間にいつも論爭は多いが、私から見れば、數年來、ODAとくに円借款がわが國の交通機関、通信といった基礎建設に大きく促進した。そのほか、農業と林業、都市建設、環境保護などの領域にみごとに援助してくれた。このODAは一定の程度の上で我が國の基礎建設を促進させ、人材育成における差し迫っている需要を緩和させ、人民の生活水準を向上させたとともに、両國の友好関係の発展をより積極的な役割を働いた。90年代後半、日本の経済不景気から、中國に対する円借款が減ったけれど、日本ODA政策で私達に対する助けを忘れるべきではないと思っている。両國間に「政冷経熱」という現狀があるとしても、日本の対中ODA政策が政治化されたとしても、両國間の交流の上で、私達は十分な心構えを持ち、國家の富強と中華民族の振興を実現すると同時に、中日友好関係をより促進しよう。
注釋:
i 1979 年12月7日、大平正芳総理(當時)の講演より抜粋
ii 『日中関係 戦後から新時代へ』毛里和子 巖波書店 2006年 p113
iii 池田大典?出石美緒?金元真希?小林亜衣『日本の対中環境協力――対中円借款の打ち切りからみる新しい対中環境協力の形』 p11
【參考文獻】
[1]毛里和子.日中関係 戦後から新時代へ[M].巖波書店,2006.
[2]金煕徳.日本政府開発援助[M].社會科學文獻出版社,2002.
[3]林曉光,孫輝.日本政府對華開發援助與中日關系[J].現在日本經濟,2005(3).
[4]王少鈺.日本對中國援助問題分析[J].湘潮,2008(5).