摘要:翻譯是原語作品有一個文化領(lǐng)域向另一個文化領(lǐng)域轉(zhuǎn)移,并把原作中的具有普遍性的一面?zhèn)鬟_給目標讀者的過程。隨著中日交流的深入,文學(xué)作品的互譯也頻繁地開展。本文通過由竹中伸,立間祥介,中山高志翻譯的《駱駝祥子》的三個譯本的對比對照,比較,分析,研究其中對慣用語和歇后語的把握進而探討中國文學(xué)的日譯問題。
關(guān)鍵詞:慣用語歇后語 老舍駱駝祥子翻譯
一、歇后語的翻譯
歇后語是一種特殊的語言表達形式,歇后語大體上由兩部分構(gòu)成,前一部分運用比喻的形式,相當于謎底,后一部分表達真正的含義,相當于謎面。
1“ 你可倒好肉包子打狗, 一去不回頭啊”她的嗓門很高, 和平日在車廠與車夫們吵嘴時一樣。
竹中伸訳(P144)
「暫くだったわねえ。お前さんはまるで鉄砲玉みたように車廠
を飛び出したっきりさっぱり顔を見せないのねえ。」
彼女の聲は非常に大きく、平素車廠で荒くれ車夫どもに用事をいいつけるときと同じような調(diào)子だった。
立間祥介訳(P132)
「おまえもいい気なもんだよ。でてったきり、知らんぷりとはねえ。」
車夫たちとやりあうときと同様の甲高い聲でそれだけ言うと同時に。。。
中山高志訳(P129
「いい気なもんだね。’肉包子’(肉まん)を犬にぶっつけたように、まるで帰ってこないじゃないかね」
聲の調(diào)子は非常に高く、日頃車場で車夫らとわめき合うときと変わりなかったが。。。。
“肉包子打狗, 一去不回頭”意為得到好處后有去無回,原文中指祥子嘗到了甜頭后就消失了,是虎妞責備祥子的話語。從三個上文中三個譯者的翻譯我們可以看出,三個人用了不同的翻譯方式。竹中伸和立件詳介只翻譯了有去無會,并沒有體現(xiàn)嘗到甜頭這層含義,在中山高志的翻譯中采用了直譯的翻譯方式,將原文的意思準確的翻譯了出來。
2 有急等用錢的,有愿意借出去的,周瑜打黃蓋,愿打愿挨。
竹中伸訳(P128)
セッパ詰った急場を凌ぐために高利を承知で借りて行く。それは丁度周瑜が黃蓋を毆ったのと同じで、一方は毆りたいから毆ったので、一方は喜んで毆られていたのだ。それと同じことだというのである。
立間祥介訳(P119)
急場の金に困っている人があればこそ、こちらも貸してやるのであって、周瑜が黃蓋を打擲したようなもの(苦肉の策。『三國誌』の故事)、武士は相身互いじゃないか、と。
中山高志訳(P116)
大急ぎに金がいる人があり、また貸してやろうという人があれば、周瑜が黃蓋を打って大芝居をやったのと同じことで、渡りに船じゃないか。
「周瑜打黃蓋,愿打愿挨」歇后語出現(xiàn)在《三國演義》第46的故事。是中國特有的故事,對于日本讀者來說很陌生很難理解。竹中伸將其翻譯為周瑜が黃蓋を毆ったのと同じで、一方は毆りたいから毆ったので、一方は喜んで毆られていたのだ。雖然將歇后語里的故事做了大概的解釋性翻譯,但是對日本讀者來說,沒有閱讀過《三國演義》的人是很難理解故事的來龍去脈的,這樣就很難真正理解歇后語的真正含義的。在立間詳介和中山高志的譯文中,都將歇后語的前半部分直譯了出來,而對歇后語的后半部分采用了意譯的方式,譯為「武士は相身互い」和「渡りに船」。這樣用日本原有文化來代替原文難以理解的特有文化,對于異國讀者來說可以更加容易理解和接受。
3看祥子沒動靜,高媽真想俏皮他一頓,可是一想他的正直勁兒,又不大好意思了:“你真行。‘小胡同趕豬——直來直去’;也好。”
竹中伸訳(P135)
彼が正直一途の一克者であることを想うと、それも気の毒なような気がして、
「お前さんは本當に石橋を敲いて渡る人だからね。まあ、それも好いだろうよ。」
立間祥介訳(P124)
祥子がなにも言わないので、高馬は皮肉のひとつも言ってやろうかと思ったが、一途な彼の性格を思うと、それもかわいそうに思った。
「偉いよ、あんたは。ばか正直にやるだけのことをやってみるのも、またいいだろうさ。」
中山高志訳(P121)
祥子がてこでこも動かないのを見て、高馬は本気でちょっとからかってみってやろうと思ったが、彼の真正直さを考えてこれもすまぬことだと思い直した。「お前は本當にえらいよ。石部金吉式も結(jié)構(gòu)だ。」
「小胡同趕豬——直來直去」的中文意思指人沒有城府,心里有什么說什么,直進直出。竹中伸將其譯為「石橋を敲いて渡る」,日文意思為敲著石板過河,深一層的含義為做事極為謹慎,不敢有半點馬虎,這和原文的意思相差甚遠,可以說是誤譯。在立間祥介的譯文中將「小胡同趕豬——直來直去」翻譯為ばか正直にやるだけのことをやってみる,采用了意譯的方式,可是翻譯出歇后語的后半部分“直來直去”雖然能夠讓讀者們理解原文的意思,可原文所蘊含的文化內(nèi)涵譯者卻沒翻譯出來。中山高志將原文譯為「石部金吉式」。石部金吉式是日本人眾所周知的人物,「石部金吉式」在現(xiàn)實生活中代表一根筋,性格直來直去不會變通的人。這和原文的意思很是符合,同時也在形式上符合原譯文,是最佳的譯文。
4“他必審問我,我給他個徐庶入曹營——一語不發(fā)’。”
竹中伸訳(P151)
すると爺さん驚いて、五月蠅く相手は誰だと詰問するだろうが、妾ゃわざと黙って泣いていて一言も答えない。
立間祥介訳(P139)
そうすりゃ、相手はだれだってことになるけどあたしは知らぬ存ぜぬでおしとおす。
中山高志訳((135)
爺さんきっと根掘り葉掘り聞き出そうとするに決まっている。あたしは徐庶が曹操の所に連れてこられたときのように一言も言わない。『二十九)
徐庶是《三國演義》中在第三十六回登場的人物,是蜀國劉備的參謀。可是因為他的母親被魏國的曹操所挾持做了人質(zhì)的原因,他不得不去了曹操的陣營。雖然他入了曹營,可是他依然潔身自好,保持自己的操守,從沒有為曹操獻過一計。從上述歷史故事中我們可以知道“徐庶入曹營——一語不發(fā)”的含義是徐庶雖然進入曹營,可是從來沒獻過計策。
在三個日譯本中,竹中伸的翻譯對原文的修改過多,幾乎看不到原文的影子,立間祥介使用了意譯的方法,只翻譯了歇后語后面的部分。中山高志采用了直譯的方法,將原文都翻譯了出來,并在譯文的后面對歷史故事加了注解,讓讀者既明白了文中歇后語的含義,同時保存了原文特有的文化。
二、俗語的翻譯
文學(xué)作品中經(jīng)常會出現(xiàn)特有的文化用語,翻譯者不但要將文化用語的含義翻譯出來,還要將文化用語所包含的文化內(nèi)涵向異國讀者傳達出來,才能算是好的譯文。人類共通的很多東西都能在俗語中體現(xiàn)出來。雖然文化不盡相同,可俗語能反應(yīng)人類活動普遍性的一個側(cè)面。漢語和日語也都不例外。如果日語中存在和漢語相同含義的俗語,翻譯起來就會很簡單。可是,如果在日語中沒有對應(yīng)意思的俗語,翻譯起來就很難。而且在中國土生土長的俗語比日語的俗語要多的多。
以下通過對《駱駝祥子》三個譯本中俗語的翻譯進行分析。
1、但是他畢竟是鄉(xiāng)下人, 不像城里人那樣聽見風便是雨。
竹中伸訳
然し彼は流石に田舎漢で、都會人のように風を聞けば直ぐに雨を予知するだけのカンを持ち合わせなかった。(P24)
立間祥介訳
悲しかなやはり田舎者で、町方の人間のようには気がまわらなかった。(P23)
中山高志訳
しかし、所謂彼は田舎者で、都會人のように風の具合で雨を知るほど聡明ではなかった。(P30)
俗語和我們平時的用于相比,具有相對的穩(wěn)定性,比書面語更加精煉,生動。
「聽見風便是雨」的意思為剛聽到一點兒風聲,就當要下雨了。形容聽到一點風聲就竭力附和渲染。 還可以用來比喻那些一聽到什么事就跟著咋呼,沒有個人主見,人云亦云,本來沒多嚴重的事說的特邪呼的這類 。竹中伸和中山高志將「聽見風便是雨」譯為「風を聞けば直ぐに雨を予知する」和「風の具合で雨を知る」。他們的翻譯保留了「風、雨」,這些形象的翻譯更加貼近自然貼近生活,可以引起讀者的聯(lián)想和共鳴,同時將俗語中文化內(nèi)涵傳達為了讀者。立間祥介將“聽見風便是雨”譯為「気がまわらなかった」。「気がまわらなかった」的意思對什么都不漠不關(guān)心。所以可以看出立間祥介的翻譯是誤譯。
2、跳到黃河里也洗不清。
竹中伸訳(P212)
仕業(yè)であるなしに拘らず嫌疑者は先ず彼だということになる。
立間祥介訳(P193)
死んでも濡れ衣をはらすことができなくなってしまう。
中山高志訳(P184)
彼への疑いは黃河に飛び込んでも清められないのだ。
“跳到黃河里也洗不清”是比喻很難擺脫干系,避免嫌疑的意思。是中國特有的慣用語。中山高志采用了直譯的翻譯方法將原文譯為「黃河に飛び込んでも清められない」,這種翻譯方式將中國特有文化正確的傳達給了讀者。竹中伸采用了意譯的翻譯方式,這對日本讀者來說更加容易理解原文,但卻放棄了原文化。立間祥介訳的譯文既體現(xiàn)了原文化,同時準確的傳達了艷雯的意思,是最完美的翻譯。
3、過了這村便沒有這店
竹中伸訳(P178)
そうだ、人間至るところ青山だ。
立間祥介訳(P163)
あとで悔やんだって追いつかないのだ。
中山高志訳(157)
ここを過ぎたらあとはもう一面の砂漠だ。
牛島徳次訳(P209)
この村を通りすぎたら、もうこれだけの宿屋はない。
あたらチャンスを逃げしたら、もう二度とめぐりあえない。
4六十九歲的人了,反倒聰明一世,胡凃一時,叫一群猴兒王八給吃了。
竹中伸訳(P245)
六十九年間酸い甘いも噛み分けて來たこのおれ、山猿どもに寄ってたかって食い物にされてたまるかってんだ。
立間祥介訳(P223)
おれともあろう者が、六十九にもなって、あんな犬畜生どもになめられたなんて、見られたざまじゃねえや。。。
中山高志訳(P211)
六十九の今日まで一生利口で通ってきたのに、この期に及んでぼけってしまって猿どもに食われてしまった。
牛島徳次訳(P267)
かねて聡明で通ってきた者が、思いがけないドジを踏む。
仏法にも筆の誤り。
從例文3,4來看、中山高志采用了意義的方法。“過了這便村沒有這店”有機會必須抓住,一旦失去,決不再來。正所謂“機不可失,時不再來”的意思。中山高志將其譯為「ここを過ぎたらあとはもう一面の砂漠だ」,正確的將原文生動的再現(xiàn)。同樣,例文4的「聰明一世,胡凃一時」出自明·馮夢龍《警世通言》卷三:“如今且說一個人,古來第一聰明的,他聰明了一世,懞懂在一時。留下花錦緞般一段話文,傳與后生小子。” 意思是聰明一輩子,臨時卻糊涂起來。指一向聰明的人,偶爾在某件事上犯糊涂。 常用來怪人辦了不該辦的事 。中山高志用意譯的方式將其準確的翻譯了出來。
例文3竹中伸將其翻譯成「人間至るところ青山」。「人間至るところ青山」是人間到處有青山,和原文的意思相差甚遠。同樣對例文4「聰明一世,胡凃一時」譯為「酸い甘いも噛み分けて來た」和原文的意思也有一定的差距。
立間祥介將例文3翻譯為「あとで悔やんだって追いつかないのだ」,只是翻譯出原文的一部分,是片面的翻譯。將「聰明一世,胡凃一時」譯為「かねて聡明で通ってきた者が、思いがけないドジを踏む」也是同樣。
5、劉四爺?shù)难劾锊蝗嗌匙印?/p>
竹中伸訳(P242)
立間祥介訳(220)
親方の目はたしかなものだった。意訳
中山高志訳(P208)
劉四爺の目をごまかそうなんていうことはとんでもないことだ。
「眼里不揉沙子」出自《紅樓夢》第六九回:“奶奶寬洪大量,我卻眼里揉不下沙子去。” 比喻容不得人 。竹中伸在譯文中將這個俗語的翻譯省略了,造成了文化的缺失。立間祥介將其翻譯為「たしかなもの」采用了意譯的方式,但是文化的影子一點也看不到。中山高志用形象的翻譯將沙子翻譯成了芝麻,讓日本讀者更容易理解的同時,生動的傳達了異文化。
6、見兩方面都不肯讓步,那么,清官難斷家務(wù)事,有機會便溜了吧。
竹中伸訳(P254)
雙方とも飽くまで讓歩しないとすれば事面倒となること必定、これは、さわらぬ神に崇りなしで、一刻も早くこの場からずらかるに限る。
立間祥介訳(P231)
それだけ言って雙方は一歩もあとへひこうとしないところが、いやはや家族內(nèi)のいざこざは面倒なものでなどとこまかしてひきさがろうという考えだった。
中山高志訳(P218)
みんなもそのうちに両方とも一歩も讓らないのを見て、これで親子の喧嘩に立ち入らぬと考え、この上機を見てそろっと帰ってしまうのが上策でと考えだした。
「清官難斷家務(wù)事」出自明·馮夢龍《喻世明言》第十卷:“常言道清官難斷家事。我如今管你母子一生衣食充足,你也休做十分大望。”意思是家庭中的事情繁瑣復(fù)雜,清官也無法判明是非。 竹中伸將其譯為訳「さわらぬ神に崇りなし」。「さわらぬ神に崇りなし」用日文原有的俗語進行了翻譯,讓日本讀者更容易理解。立間祥介和中山高志運用了直譯的形式,同時準確的傳達了原文的含義,完美的體現(xiàn)了原文的含義和文化。
本論對老舍的《駱駝祥子》的三個日譯本中的俗語和歇后語的翻譯進行了對比分析,的出這樣的結(jié)論:在具有中國古典歷史人物的俗語或歇后語中,一般采取意譯的方式。對于中國人特有的思考方式的俗語,要考慮日本人收容情況進行翻譯。還有翻譯者對原文的誤譯,是譯者對原文的派生意義的結(jié)果。
參考文獻:
[1]『駱駝祥子』老舎著人民文學(xué)出版社2010年8月
[2]『駱駝祥子』老舎著竹中伸訳新潮社昭和四十五年五月
[3]『駱駝祥子』老舎著立間祥介訳巖波書店1980年12月
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[6]『文學(xué)翻譯學(xué) 』鄭海凌 文心出版社 2000
[7]『「紅字」両訳本の對比研究』董磅剛東南大學(xué)學(xué)報(哲學(xué)社會科學(xué)版)2001年02期
[8]『文化與翻譯 』郭建中編 中國對外翻譯出版公司2000