【要旨】:食文化の一つの弁當文化は日本人にとって、ただ一つ食事の表現ではなく、豊かな生活を追求する行動である。日本の弁當がよく使う食材料は何の特別があるか、異なる食材料はそれなりにどんな意味を含んでいるか、弁當にはどんな趣を含めているか、どんな感情を含めているかなど日本人の職人気質に莫大な関係があるに違いない。日本の弁當造型から表せる日本人の職人気質を見る。
【キーワード】:日本;弁當;食文化;職人気質
弁當は登場して以來、日本人がすごく頼りにして、日本人の生活において重要な影響を果たしている。弁當は一種の食品にとどまらなく、更に日本を理解した橋渡だと言ってもいい。弁當というものは、弁當そのものだけでなく、それなりの文化を代表して、日本の文化、日本の社會、日本の経済などと莫大な繋がりがある。
本論では、日本弁當の起源と発展を紹介した上で、突っ込んで弁當から見られる日本人の職人気質を研究しようとする。
1.先行研究
吉井忍の『四季弁當』により、各個の違った季節にそのなりにふさわしい食材と裝飾を選んで、とても緻密で、まるで手の込んだ工蕓品のようだ。 この本の中で、最も質素で、同じく本が重點的に紹介するものは、普通の家庭の弁當である。
李御寧の『「縮み」志向の日本人』により、日本人の縮小意識は弁當で十分に表している。日本人はまちまちな食べ物を小さい容器に組み込むことが好きで、便宜のためだけではなく、日本人の心の深いところに隠れる縮小意識があると思う。
2 日本の弁當文化について
2.1 弁當文化の起源と発展
「弁當」の語源は中國南宋のことわざから來て、日本に入った後で“便道”“辨當”などの漢字を表記した。日本最古の歴史書『日本書紀』[『日本書紀』、ワイド版巖波文庫、2003年(平成15年)]には、だいたい5世紀頃、鷹狩り、戦爭、農作業などの作業へ外出時、食事するために、家から出來上がった干飯(や握り飯を布袋で包んで持ち歩き、腹減る時にこれを食べると書かれている。また、10世紀ごろの『伊勢物語』[『伊勢物語』、巖波文庫、1964年]では、旅の途中で、干飯を食べるシーンが描かれている。これは最古の攜帯食である。
真正の弁當の起源は平安時代まで遡ることができる。當時は「弁當」という言葉はまだ使っていない、ただ一つ外出先でとる軽食だといえる。「弁當」という言葉は戦國時代から使われ始めるものである。そのとき配當を弁ずるという意味と 「當座を弁ずる」という意味で、初めて「弁當」と名づけたという。これが「弁當」が生まれたである。
2弁當文化に見る日本人の職人気質
2.1 弁當文化における色彩美
色彩は人の目でじかに感じる最も直接視覚の印である。日本の弁當は色彩の組み合わせにかなり念を入れたとはいうまでもない。日本料理には五色という考え方がある。弁當を作るときに、おのずと「白黒赤黃青」の5色意識を持ちながらつくると、可愛くて栄養の弁當は簡単に作ることができる。赤、黃色、青、白、黒は弁當の基本の5色であるといわれている。弁當は栄養バランスがとても健康だ、視覚的にも楽しくておいしそうに見える。
日本弁當をよく見れば、色使いも組み合わせも工夫を凝らして作ることが見られる。色の冷色暖色で十分に調和して、色の濃淡の差で適當に調和して、全體の色彩を調和が取れていく。鮮明な色彩は一般的にさらに人を引きつけて、もっと食欲がある。いろいろな色を使って、盛んな宴席でのご馳走のように極めて華やかな弁當を感じさせる。味覚的にも視覚的にも大いに満足をさせる。
2.2 弁當文化における形態美
強大なものに比べて、日本人は弱小のものに美の感情をさらに持っている。日本は國土が狹く、生活の範囲が小さく、接觸した周りの景色が小範囲に局限するから、繊細な感じを生み出させる。日本人の部屋や庭など、ほどんと小さくデザインして、狹い部屋なのに、ものをたくさん置けるのは本當に不思議である。ほかの國の人にとって、狹すぎてぎっしりで生活しがたいかもしれない。ただし、こんなに小さい物事を好むのは日本人の特性の一つである。
この小さい物事を好むという特性は、弁當の造型デザインにも影響を及ぼした。人々は1日に摂取すべき種類の食物をかなり重視するから、さまざまな食物をすこし取り出してからすべて小さい弁當箱にできるだけ詰め入れて、いっぱいに詰め込めて、少しも隙間を殘さないである。ただ一つ弁當を食べてあらゆる日本料理を食べる感じがする。日本弁當の各食品の成分の割合は知らず知らずのうちに習慣を形成した。つまり4;3;2;1で、ご飯が4、肉料理が3、野菜が2、デザートが1 ということである。この比例によって弁當を作るのは典型的に通用する模式である。まるで弁當の黃金分割のように、ある程度に栄養のバランスを保証し、最大限に料理のムダを減らす。
3弁當文化に見る日本人の職人気質
中國器物と技術の東伝は日本の職人精神形成の前提となっている。日本平安時代(794-1192)多くの唐物「蕓品及び生産技術」は遣唐使、遣隋使、中國の移民と職人で日本に入っていた。
中國器物と技術の刺激ので、日本社會の分業がいっそう詳しくなっている、手工業の種類も多くなていた。日本人は模倣の上でもっと精巧な器物を生み出していた。13世紀になった、日本生産力勢いに発展して、日本伝統産業の分布原型が初めて確立していた。當時にある職種に従事する職人階級が現れていた。生産力の発展は精巧な工蕓品を生み出しだけでなく、日本人は自然に対するの崇拝は工蕓品の崇拝に変わりっていた。職人気質は工蕓品の崇拝で現れていた。
日本の弁當文化に職人気質が満ちている。弁當の色彩美、形態美に日本人がいろいろな感情がある、できるだけで綺麗な弁當を作り上げる。五色、精巧、愛、豊富な栄養が弁當で現れている。日本人は食べる弁當にも専心している。日本人の職人気質はどこにも見ることができる。
小野二郎は日本有名な鮨職人である。手の保護のため、外出時は必ず手袋をはめている。いろいろな賞を受ける。彼の仕事に対するの態度は私達の學ぶこと。中國でも職人気質がある。
おわりに
以上の述べるように、日本の弁當は古くから生み出されたもので、起源が古い。日本の時代の変化に伴なって、弁當の種類は豊になって中身も絶えずに変わりつつある。日本の各時代に、弁當の外見につけ中身につけ、あの時代とふさわしい特有の味を持っている。手作り弁當はただ食事のために作るものではなく、蕓術として作ると言っても過言ではない。なお、弁當における美意識も日本人の生活に深い影響をもたらしている。弁當造型の美學への追求日本人の職人気質を見ることができる。
參考文獻:
[1]栄久庵憲司.『幕の內弁當の美學』[M].ごま書房.1980.01.01
[2]李御寧.『「縮み」志向の日本人』[M].日本講談社. 1984
[3]『日本大百科全書』[M].小學館. 1984
[4]『日本書紀』[M]、ワイド版巖波文庫、2003
作者簡介:王璐瑤(1994—),女,漢族,浙江紹興人,日語碩士,單位:延邊大學外國語學院日語專業碩士2016級研究生,研究方向日語語言文學。